| sugitaru • PM |
May 11, 2014 6:00 AM
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sugitaru
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喜劇はまづなによりも、人間と時代とに対する深いかなしみから生れるものだといふことを、わたくしは、かねがね信じてゐる。かなしみがかなしみのままに終れば、それは絶望につながるほかはない。わたくしは、そこで立ちどまらないために、あらゆる鞭を自分のうへに加へた。灰色のかなしみから、褐色の憤りが煙のやうにたちのぼるのを、自然の結果とみてゐた。だが、その時、はじめて、自分のうちに、鬱積した「笑ひ」がこみあげて、ひとつの出口をもとめてやまないのを知つた。「喜劇」は、外になくして、内にあつたのである。
人世批判が諷刺のかたちをとつて「喜劇」を生むことも事実にはちがひない。しかし、その事実は、また、批判者がいつさいの批判に堪へなければならぬといふ意味をふくんでゐる。しよせん、喜劇は、他のすべての文学作品と同様、あるひは、それ以上に、鏡にうつる作者の像なのである。 こんど文学座で上演する「道遠からず」は、分析的な解釈を必要としないほど、主題は単純明瞭であつて、わたくしは、ただ、現実の一瞬から、この主題のヒントを得たことだけ言つておきたい。 オーダーカーテン |