| sugitaru • PM |
May 29, 2014 6:21 AM
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sugitaru
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「その前は、船に乗つてをりました」
「船つていふと……?」 「欧洲航路の客船でございます」 これを聞いた瞬間、男の顔は、急に、ゆがんだやうに見えた。 「さうか、だうりでハイカラな小母さんだと思つた。もういいよ。別に、わけがあつて訊いたんぢやない。なるほど、この眺めはすばらしい。あの山の色は、夕日を受けてああなるんだな。おい、見てみろよ。星があんなに光つてらあ、星が……」 くるりと背を向けて、窓に近づいた男は、連れの女へといふよりも、ほとんど独り言のやうに呟いた。 深草乃里は、食堂へ降りて行つたが、なにゆゑか、胸騒ぎがしてしやうがない。はじめて会つた客で、しかも、どこの誰だかまだ名前さへ聞いてゐない男と、一と言二た言口をきいたばかりだのに、こんなに強い印象を受けるのはいつたいなぜだらうと、彼女は自分の感情を疑はずにはゐられなかつた。 なるほど、この年になつて、若い同伴の客には、実のところ、一種の嫉妬に似た好奇心が起ることはある。しかし、どんな男の客に対してでも、いまだかつて、直接に異性として特別な興味をひかれたためしはないのである。現在では、男性とは、もはや自分には縁のない存在としか思へなくなつてゐる。そのうへに、今日の二人づれの客は新婚とか、連れ込みとかいふ種類の艶つぽさからは遠い、どつちかといへば、世帯臭い夫婦の一組にすぎないし、その男にしても、これまで接し馴れた多くの紳士たちにくらべて、特別に彼女の浮気心をかきたてるやうなところがあるわけでもなかつた。にも拘はらず、彼女の眼の底には、いつまでも、その男の面影が残り、いくらか荒々しい声のひびきまで、からみつくやうに彼女の後ろを追ひかけてくる。変形性膝関節症おすすめサプリご紹介サイト! |