| sugitaru • PM |
Jul 03, 2014 6:59 AM
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sugitaru
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太閤様の字なども当時よく見るところの将軍型ではない。きわめて自由な、芸術的、美術的なものであって、太閤の前に太閤の書なし、太閤の後に太閤の書なしと、叫んでもさしつかえないまでに創作的雅美に富んだ自由型である。
これらはいずれも一代の勇者であり、信念の天才人であったからであろうが、また考え方では西行様が鎌倉時代において、あの字を書かれていることには別段不思議はない。鎌倉時代というものはまだまだなにかに調子高い芸術の生まれた時代である。西行様一人が特によい字を書かれたのではない。むしろさらにさらにその上手を行った字もあったようである。西行様の字は良寛様のように一大天才であるというのではなかろう。良寛様から見ては多少の艶も見られる。しかし、身嗜みから学ばれている点においては良寛様と同じ態度の書家であると申されようか。それはとにかく私が良寛様の出現に驚異を感ずるものは、徳川末期であるということである。徳川末期は芸術のなさけないまでにしなびてしまった時であって、きわめて低調な書画彫刻をもって充たされ、鑑賞力もいやが上に低落し、江戸前的民衆芸術に浮身をやつし、書道のごとき桃山期まではとにかくも本格的に踏み止っていたものが、徳川からは根幹を失い枝葉へ、末節へとひた走りに走り、正体なく貫禄を落してしまった時である。かくのごとき末世的時代にあって、わずかにたった一人の良寛様が、敢然古の本格に道を撰んで歩まれたのであるから、私は良寛様の特異的善書を口をきわめて称え立てないではおられないのである。横浜市中区 歯科 |