| sugitaru • PM |
Jun 10, 2014 9:00 AM
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sugitaru
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これが「延喜式」にいわゆる「守戸」に相当するものであろう。「延喜式」には守戸は十年交替となっている。三年交替ではその煩に堪えなかったのと、一方徭役を免ぜられる特典があったが為に、彼らもその職に甘んじて、あまり短期の交替を望まなかったためでもあったとみえる。
因に云う、後世近畿地方にシュクと呼ばれた賤者階級の徒があった。解するものこれを以て守戸の後となし、余輩またかつてはその説に従ってみた事があったが、後に至って必ずしもそのしからざることを明らかにした。別項「シュク」の条下を見られたい。 「延喜」の諸陵寮式には、各陵墓についてそれぞれ陵戸守戸の数を記してある。身分は違っても同一職務に服したものであった。後いつとはなく諸陵寮の管理も廃し、陵墓多くはその所在を忘れられるようになっては、陵戸守戸の末路も不明になってしまった。 5 ハシヒト(間人) 陵戸は大宝令に賤民の中に数えてあっても、もちろん奴婢の徒ではない。ただその身が穢れに触れるということから、特に賤民の籍に収められたもので、職業から見た性質上では、むしろ雑戸の部類に属すべきものだと解せられるが、その以外の一般の雑戸は貴族に属する部曲の民などとともに、良民とも賤民ともつかぬ、中間階級のものとして認められていた。いわゆるハシヒトの類で、それを文字に「間人」と書いた。或いはその文字のままにマヒト、または転じてマウトなどと呼んだこともある。良賤両者の中間に位置するということであろう。薬学生の質問掲示板 定期試験・進級・CBT・薬剤師国家試験対策 |